今日は今回の旅の目的でもあったベトナムの伝統薬について伝統薬博物館を見に行きます。ベトナム人の使用してきた伝統薬について、ここにはたくさんの資料がありました。私は岡山大学修士課程の修士論文でベトナムの伝統医療を研究された小田なら氏の博士論文を先行研究として取り上げました。ベトナムの伝統医療には、清朝の影響、フランス植民地、アメリカとのベトナム戦争といった政治的に特殊な事情が存在しています。

ベトナムの歴史を医療資源という観点から見ると非常に興味深いのです。まず、中国の清朝に朝貢した1800年から始まるベトナムの阮朝の時代は中国の影響を強く受けた漢方薬とベトナム土着の伝統薬が存在していました。中国の影響は華僑や華人の多くいる南ベトナムに濃く、北ベトナムは土着の薬を重用しています。

1883年にはフランスの保護国となります。その後日本の進駐などもありましたが、共産主義の北ベトナムとアメリカによる傀儡政権の南ベトナムとのベトナム戦争が1965年に激化します。

フランスの保護国となって以来、南ベトナムでは西洋医学が採用され始めます。フランス国内で進められていた公衆衛生政策や医療制度が取り入れられ,植民地支配をするフランス人のための感染症(狂犬病,マラリア,天然痘など)対策を中心に研究されました。
フランス側も伝統薬(中国からの輸入薬も含む)の中に、有効な成分を持つ植物を発見し、製薬・化学業界が注目し研究が進みました。例えばキニーネというマラリアの薬の原料となったキナノキの自給を目指しました。

西洋医学の薬剤や医師の不足も問題でした。第一次世界大戦などにより医師たちに帰国命令が出ることがあったようです。人手不足のため、ベトナム人への医学教育や助産師の養成も始まりました。この教育を受けることができた裕福なベトナム人たちはエリート意識が強く地域の人たちの反発を招いたとされています。

ベトナム戦争において、アメリカ軍とともに入ってきた大量の医療資源が届くところではいいのですが、戦況によってはサプライチェーンと言われる医療資源の調達や在庫管理といった供給側の流れなどに切れ目が出ることがあり、そんな場合、一気に西洋医学の提供ができなくなります。
そのようなときに、効果については諸説ありますが、発熱や腹痛など軽度の症状においては、地元にいる人たちが頼りにしている薬草などが補完的に使用されます。ベトナムで尊敬されるホーチミンは、効果のある薬草で病気が治った記憶があり、伝統薬の専門家を育てたり、薬を扱う制度を作ったりしました。
南ベトナムの西洋医学が使える富裕層、北ベトナムの国家を上げた伝統医療の興隆、ベトナム戦争終結による西洋医学のシステム崩壊、圧倒的な医療資源不足、伝統医療の持ち上げ、といった政治や経済の変化によって伝統医療の立場が変化していきます。
このような医療資源が不足している状況で鍼灸治療が南ベトナムの寺院を中心に市民に広まっていきます。過去においては有名な芹澤勝助氏によるベトナム盲学校での技術伝達、現在は日本の鍼灸関係者や国際医療技術財団などが中心となりサポートしているようです。

この伝統薬博物館はFITO MUSEUMといわれ、ホーチミンにおいては若い女性のインスタ映えスポットとなっているようで、たくさんの若い方がずっと写真を撮っていました。その間を縫ってたくさんの資料を撮影しました。

さて、日本において伝統医療はどうなのか。頭の中にはいろんな考えが渦巻いているのですが、形にするのは難しいですね。あすはお土産を買いに渦巻のようにいろいろなところを回ります。ベトナムの方が日本語をしゃべるとき、「いろいろ」が、「エロエロ」に聞こえるんですよね。えっ!と思います。











