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世界一周旅行⑭ パリ編3日目

今日は午前9時からヴェルサイユ宮殿に入場します。ヴェルサイユ宮殿は、狩猟を愛したルイ13世が豊かな自然に恵まれたこの場所に狩猟用の小さな建物を建てたことから始まり、息子であるルイ14世に受け継がれました。ルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿を国家の威信を示すために大規模に拡張し、広大な庭園を併設しました。1682年にパリからヴェルサイユに宮廷が移されたことで、ヴェルサイユ宮殿はフランス絶対王政を象徴する宮殿へと変貌を遂げたようです。

たくさんの人たちが同じ方向に向かっていきます。とても広い敷地に建物が立っています。この中にはどんなものがあるのかワクワクします。

Google MAPは本当に便利で、日本語で列車の地図と時刻表を表示できます。地下鉄と普通列車を利用してヴェルサイユ宮殿近くの駅まで行きます。入場予約は日本にいる間に済ませておきました。公式ホームページからGoogle Chromeを使って日本語翻訳しながら予約しておきました。とても簡単です。

入場料は32€(5,528 円)高~い!! 仕方ないですね。日本円が安すぎる。しかし、なかなか来ることができない場所なので頑張りました。

RERという列車を使いました。RER (レゾー・エクスプレス・リージョナル)にはユーレイルパスは使用できませんが、パリとその周辺地域を結ぶ鉄道網になります。地下鉄よりも郊外まで行くことができ、RER B線からRER C線に乗り換えヴェルサイユ宮殿近くの駅まで向かいました。なぜか名前にNARAとかKOBEとか見たことある表示があります。

ヴェルサイユ宮殿に入るとまず目に入るのは礼拝堂です。この礼拝堂の何をもってバロックなのか全くわかりませんが、見事なバロック様式だそうです。2階建て構造が特徴で、1階にミサなどの宗教儀式が行われる場が設けられ、2階は王と王族専用だそうです。

内部には金色の彫刻や大理石の柱。天井の絵は宮廷画家による新旧約聖書を基にした「三位一体」を表現した壮大なフレスコ画が描かれています。「三位一体」とは、キリスト教における神の教義で、唯一の神が父(創造主としての全能の神)、子(イエス・キリスト:神の子)、聖霊(神の活動のこと。信者を導く存在:神の霊)の三つ。それぞれ異なる存在でありながら、本質的には一体であるとされています。

この話をテキサスへの留学中にも聞きましたが、なんで唯一神であるはずのキリスト教で三つの神がいるのかよく理解できませんでした。実は未だによくわかりません。聖霊ってなんでしょうね。

ここは王の寝室です。「王の寝室」は、ルイ14世が日常生活を送った部屋だそうで食事や睡眠、執務のための空間だそうです。豪華絢爛なカーテンが下がっていますが、ルイ16世とマリー・アントワネットの時代のフランス革命のときには、王族たちはパリに送られてしまい、この豪華なヴェルサイユ宮殿は略奪にあってしまったため、丁寧は調査と修復が行われたそうです。

あまり見たことないような大きな絵が壁の両側にならんでいます。どんな背景を持つ絵画かはよくわかりませんが、フランスの歴史を表す絵なのでしょう。

ヴェルサイユ宮殿の場所が趣味の狩猟をするために始まったとすれば、周りに見事な森があることがわかります。しかし、便利は悪そうです。ヴェルサイユ宮殿には、当時約4,000人が住んでいたそうですが、腰かけ式便器は274個しかなく数が不足していたため、舞踏会のときには、貴族は「おまる」を持参したそうです。

便器やおまるにたまった汚物は庭に捨られ、一部のものが庭園の茂みで用を足した結果、美しいことで有名な庭園も糞便であふれ、ものすごい臭いが漂っていたそうです。これに宮殿の庭師が怒り、庭園に「立ち入り禁止」の札を立てたそうで、これがエチケットの語源となり、フランス語で「立て札」の意味らしい。

さて、ヴェルサイユ宮殿の見学も終わったので、パリに戻り、地下にある納骨堂、カタコンベを見に行きます。このカタコンベの写真はいわゆる骸骨なので、苦手な方はこの美しい庭園まででストップしてください。

その途中にビクトル・ユゴーのおうちがあったのでちょっと寄ってみました。壁の色の選択がフランス人らしいと感じました。

いよいよカタコンベです。世界にはローマ、ナポリ、シラクサ、サン・ジョバンニなどたくさんのカタコンベ(納骨堂)があるそうです。パリのカタコンベは、700万体以上の遺骨が眠る、世界最大級の地下墓地だそうで、ローマ時代からパリの郊外に死者を埋葬してきたけれども、キリスト教が伝来すると町の教会の地下の土地に埋葬を行うようになりました。

人口が密集して埋葬も過密化し、この状況を改善しようとして、中央集団埋葬墓地が開設されたそうです。パリには地下に採石場だった場所があり、他の場所から建築材料を購入することなしに、何世紀にもわたって石造りの建物を建てるために地下から石が切り出されたそうです。しかし、古い採石場によって生じた地下の空洞の空間を利用するアイデアとしてこれらの旧採石場へ、パリの地下に埋葬された遺骨を発掘し改葬することにしたようです。このパリのカタコンブは、訪問可能な墓地に変えようと、頭蓋骨と大腿骨を配置するよう指示して、墓石や墓地の装飾を利用して、骨で埋め尽くされた壁を補完したそうです。とりあえずいくつかの写真を貼り付けますね。

さぁ、明日はいよいよ、この旅の目的であるドイツのマンハイム近くにあるハイデルベルク城に移動します。このお城には、科学として西洋医学が確立する以前の薬草などを使っていたヨーロッパの民間医療の資料館があります。お楽しみにしてください。

じゅこうさん 鍼灸師 木下広志